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「古着屋 五月雨」といいます。
いきなりですが皆さん、「雨に唄えば」という昔のアメリカ映画をご存知でしょうか?
といっても、1952年公開の映画ですので、なかなか知ってる方は少ないでしょう。
この映画は当時大ヒットし、今でもたくさんの人に愛され、映画史に残る名作中の名作です。
土砂降りの雨の中、主人公が主題歌を歌いながら楽しそうにタップダンスを踊るシーンなんかは、映画史の中でも屈指の名場面と言われています。
そんな「雨に唄えば」がなぜあんなにもヒットしたのか、そこにはたくさんの要因があったと思います。
そしてその内の一つとして大きくあるのが、以下のことです。
「降り注ぐ雨の前にただ肩をすくめるのではなく、その雨を楽しみ、そして踊ってしまう」
そんな前向きな思考を体現した、そのポジティブなメッセージ性が人々の心を打ったと言われています。
そしてこの考え方、「古着」に対しても当てはまると思うんです。
皆さんは、「古着」というものに対してどういうイメージを持たれてますか?
「他人が着てた服なんて絶対に着たくない」という方も多いですよね。
おそらく今この文面を読んでくださってる方々の大半は、そんなに抵抗もなく、むしろ古着を好きでいらっしゃるのじゃないでしょうか。
程度の差はあれ、使い込まれたからこそ生まれたその独特の「味」に虜になるんですよね。
しかしハッキリと言ってしまえば、言われるまでもないでしょうがそれはほとんどが「劣化」なんです。
ですが、そういった「劣化」諸共その服を愛してあげるというその趣って、素晴らしいことだと思うんです。
もちろん、古着を購入する経緯は人によって様々であり、中にはその古着特有のユーズド感など関係なく、「安いから古着を中心に買う」という人たちもいられると思います。
しかしそういった過程を経ていく中で、きっとたくさんの人が古着の本当の魅力に気付き、そしていつしかその「劣化」を纏った服ばかりを自然と追うようになってくんですよね。
だらだらと色々書いてしまいましたが、要は
「物事を前向きに捉える生き方」を、古着からは学べるような気がするんです。
その服の持つユーズド感を、ただのそのままの「劣化」と捉えるのか。
それとも、その服が前の所有者と築いた「歴史」とみて、その中に「味」を感じるのか。
普通はマイナスに見えることでも視点を変えて考えてみる、そんなマインドを大事にしようと思わされます。
これはあくまでも個人的な想いであり、もちろん古着の捉え方は千差万別です。
ですが、かつて人々が憂いを抱くしかなかった雨を肯定してあげられたように、
一度は誰かの手に渡った服を、その過程を含めまた別の誰かのもとに喜びと共にお届けできたらと思い、
そんな願いを込めてこの「五月雨」という店名に致しました。
あなたにとって最高の古着と出会えますように。
古着屋 五月雨