2022/06/13 02:06
ども、トモです。
今日は久々に留学日記ではない、普通のブログです。
今回は、最近映画館で観た映画「流浪の月」について語りたいと思います。
僕は元々小説読むのがすごく好きで、この「流浪の月」も原作の小説を結構前に読んでたんです。
もうすごく良い小説だったんですよね。
作家の凪良ゆうさんの作品自体はそれまで一度も読んだことなかったんですが、まず思ったのは
「なんて綺麗な文章を書く人なんだ…」ということでしたね。
どの文章も洗練されてて、でも全然キザじゃなくて、日本語の奥深さを感じさせてくれる文体なんですよね。
まぁそんな話もそこそこに、肝心の物語の内容を、まだ観たことない方のために簡単に説明させてもらいますね。
複雑な家庭内事情が理由で、家に帰りたくない9歳の更紗(さらさ)。
そんな彼女が公園で一人佇んでいるところに、家に来ないかと声をかけた19歳の青年、文(ふみ)。
2人は文の家で二か月ほど一緒に暮らし、その後文は女児誘拐の犯人として逮捕される。
そして文は世間から「ロリコン男」のレッテルを貼られ、更紗も「傷物にされた可哀想な女の子」の目で見られることになる。
そして事件から15年が過ぎ、24歳になったある日、更紗は偶然に文と再会する。
違う人生を歩んでいた2人が再び交わる時、「愛」とも「友情」とも呼べない、名前のない関係性が紡ぎ出される…
そんな話です。
この更紗を広瀬すずが、文を松坂桃李が演じています。
原作が大好きな僕からしても、このキャスティングはホントにハマってたと思います。特に広瀬すず、女優だなぁ~て思いました。
他にも横浜流星や多部未華子も出演してますが、みんな本当に演技が上手で、脚本もいいですし、純粋に映画としてのクオリティが高かったです。
気になる方はぜひ劇場に足を運んでみてください。
そしてここからは個人的に感じたことなんですが、ちょっと不快に感じる方もいるかもしれないので、読みたい方だけ読んでください。
「幼児性愛者」「ロリコン」
こういう性癖を持った人たちって、もちろん、社会的に見たら悪だと思います。
幼児虐待のニュースなども後を絶たない世の中で、彼ら犯罪者の行いが肯定されることはこの先も絶対にないでしょう。もちろん、僕もひどいことだと思います。
ただ、正直言うとそんな人たちのことを、少しだけ「気の毒だな」と思ってしまう自分もいるんです。
近年、LGBTが世界中で強く謳われてますよね。そんな中で本当に徐々にではありますが、同性愛者に対する理解も広まってきており、そんな人たちが少しづつ生きやすい世界に転換してきているなと感じます。
ただ前述の通り、「幼児性愛者」という特殊な性癖を抱えて生まれてきてしまった人たちは、絶対に社会的に認められることはありません。
それはすなわち、彼らが溜めるその性欲の捌け口となるところも、まともに生きてる限りは、絶対的に存在しないんですね。
普通の人たちは、どんなに相手がいなくて困っていたとしても、風俗などに行ってお金を払いさえすればその欲を満たすことはできますよね。
ゲイ・レズビアンの人たちも、同性愛者同士で付き合うことはいくらでもできますし、そういう方たちのためのお店とかもあるみたいですからね。
幼児性愛者の人たちだって、当然その性癖を選んで生まれてきたわけじゃないんです。
自分の責任ではないのに、絶対に他人には言えない、言えば社会的に抹殺されてしまう、あまりにも破滅的な性癖を持つ自分を、責めることだってあると思うんです。
彼らは本当に生きるのが苦しいと思います。
どうしてもどうしても苦しくて、ある瞬間に、その欲を満たすための衝動的な行動に走ってしまうんでしょうね。
きっとその気持ちは、常人の我々には理解できないものでしょう。
理解しようとするのも間違ってるのかもしれないですが、でも僕はそういった人たちには、ここまで述べたような「同情」に近い観点・想いもあっていいと思うんです。
しかし誤解しないでいただきたいのは、決して「幼児性愛者を許せ」と言いたいわけではないですし、僕自身にもそういう性癖は全くございません。普通に内田理央さんが好きです。
ただ、この小説、そして映画を観て、ふとそんなことを思わされたりしたんです。あまりにもロリコン男に対する世間からの風当たりの強さに、若干の違和感を感じざるを得ませんでした。
今回は以上になります。とりあえず映画は観て損はないと思いますので、まだ観てない方は映画館へLet's Go。
そしてまた留学日記の方も、続きをすぐに書きますので、お楽しみに。
チャオ!